【ほうこく】出張!まれびと美術館 in 大和(山梨県甲州市) また、美術鑑賞に関わるアレコレ

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先日唐突に告知しました、

対話型鑑賞イベント「まれびと美術館」出張編 in 大和  を無事終えてきました。

週末を使い、1泊2日の旅だったのですが、

その日程の殆どが今回企画参加、また旅のコーディネイトをしてくださる大和楽燦会田村さんによる甲州ツアーで

有難いやらなんだか申し訳ないやら…

大和の魅力をすっかり堪能した後に、

普段はカフェandレストランとして使われている惣菜村2248(道の駅 甲斐大和)にて開催させて頂きました。

 

 


開催のきっかけを作ってくれた、龍くんのブログ「美術館があっても行くわけじゃない」にもありましたが、

集客的には正直今までのまれ美に比べたらとても厳しかった(それでも参加者の方々が家族みんなで来てくれたので十分賑やかでした)けれど、

最近のまれびと美術館内ミーティングでもよく話題にのぼっていた

"普段美術館へ行かない層"へのアプローチが叶ったことが非常に嬉しく、

全面的に協力、また参加もして下さった大和楽燦会、ハッピースマイルのみなさまには
感謝の一言です。

 


イベント中に撮っていた写真を見返しながら、

参加者の方々がちょっと近所へ遊びに行くようなラフな格好で、

笑ったりふざけたりしながら作品に触れている様が

普段の美術館やまた鑑賞イベントでは余りみない、

今までのわたしが知っている"美術鑑賞"の様子とは異なっていたことが非常に嬉しく感じました。



 

まれびと美術館、通称"まれ美"メンバーは

対話型鑑賞イベントを企画・運営するという目的を中心に集まっているけれど、

それぞれの関心領域、軸が少しずつ異なっていて、

今回の旅も各自の美術やまた地域活性等に向かう想いが何重にも重なった非常に有意義な旅でもありました。

 


 

そもそも博物館や美術教育等、制作以外の美術との関わりや、

そのために動いているひとたちについて今まで微塵にも考えたことがなく、

美術大学というやや浮世離れした世界で

自分にとって良い物だけを作っていれば世界が拾ってくれる筈だ

と考えていた馬鹿な美大生だったわたしが

このまれ美、ひいては対話型鑑賞に関わったのは

元々本当に単なる好奇心、幾層にも作品について妄想できるこの手法がただ楽しく参加していたに過ぎなかったのでした。

なのにどうして今自分はこういう場所に立ち、

「鑑賞」をベースに制作以外のことをしているのか。

ただの馬鹿な美大生が、

次第にまれ美メンバーである魅力的な研究者や精力的に活動する人たちの思考に触れながら、

自分の作品やそれに向かう気持ちを信用したいし、他の人にも同じ事を信用してもらいたい

けれどただ資本の大きい流れに飲み込まれるだけにはなりたくはない、

では教育か…?と当然思考が流浪し、

最近では自分にとって制作とは、鑑賞とはいかなるテーマであり、

またそれを支える美術館・博物館や美術教育はいかなる意味があるのかと

大きく広い視野を持ち考えることが増えました。

(みんなのお陰です、ありがとう。)

 


まれ美メンバーのお誘いで、

いくつか美術館主催のシンポジウムに参加することも増えました。

(今まで触れたことのない世界だから楽しくてしょうがない)

美術館が語る美術は当たり前ですけれどいつも美術館にしか帰結せず、

それは少しわたしの信じていたいものとは違うなあとも気付くことができました。

 

博物館研究をしているメンバーの手前、言い辛いことではありますが

(と言いつつ何度も言っている)

ひとつ自分にとっての美術鑑賞を考えるとしたら、

ただ美術作品の良さを見出すための鑑賞にしかならないのなら意味がなく、

それもそれらを美術館やそういった施設で"作品"として展示されているものにしかとっかかれないのであればますます無意味で、

作品を見る目を、世界や自身を普段囲む日常に還元できてようやく、

わたしは美術鑑賞をする意味があると思っています。

美術鑑賞が最終的に美術館にかえっていく必要など全くない。

美術館は世間を観るための練習をする場で、いつか飛び出す場所だと

わたしはそう思っています。また、いました。

 

 

まれ美に触れる前、

つまり馬鹿のひとつ覚えの如く作品を作っていた美大生時代、

いや、きっともっと前からこれは思っていたことで、

わたしは"展示し、鑑賞される場所"からいつだって逃げたかった。

"美術館にあるから"絶賛されることが気持ち悪かったし、

日常にあるから見向きもされないということが寂しくもあった。

(なのではじめてデュシャン「泉」という作品を知ったときは「そうだよ!こういうことだよ!」と高らかに笑い出したかった。


だからなのか、ただめんどくさかっただけなのか、

今となっては阿呆らしい反抗でもあったけれど

美大生時代は積極的に美術館に行く事を拒否していた所もある。

また自分の作品展示もいかに「箱」から抜け出すか、「箱」をどう上手く利用してやるかをいつも考えていた。
(かと言って突飛なことをしたかったわけではなく、ただ日常や生活に馴染みながら寄り添っていたかったのだ)

 

作ることを重点的に考えていた美大生時代と、

鑑賞について熱心になっている今のわたしが、

様々な迷走を経て(これからも存分にするのでしょうが)、

 

わたしが作りたかったのは「作品」ではなく、

「作品」を鑑賞する「目」であり、

またその「目」をいかに日常に向け、小さな気付きの鍵にするかということである。

ということに"まれ美"のお陰で

ひとつに収束してきたのは嬉しいことだなあと思います。




 

また、今回の旅は大和という地方でやらせて頂くことで、

今までわたしが微塵にも考えたことのない地域おこし、地域活性について

はじめて色々と考えるきっかけにもなりました。

地方出身であるにも関わらず、むしろだからこそ東京に引きこもっているわたしに

何か言えること、できることはまだまだ何も無いのですが

コーディネイトしてくださった田村さんが

そもそもまれ美を大和に招致してくださった理由として、

「地方には選択肢がない、子どもたちに色んな選択の機会を与えてあげたい」

という言葉が非常に強く残っています。

前述したように、美術は所詮その選択肢のひとつでしかなく、

盲信でなくそう捉えてくださることに個人的にとても共感しました。

 

 

イベントの写真を見返していて、

普段の美術鑑賞には無い雰囲気が嬉しかったと書きましたが

なにがどのように嬉しく感じたのかは正直よくわからず、

わたしはこんなイベントをやらせて頂いているにも関わらず、


シンポジウムなどで偉い先生や学芸員さんたちが語るような、

「美術」にはそこまで汎用性のある教育的また地域救済措置的なものには到底思えないのです。


確かにわたしは美術によって救われ、また色々と世界を拡げて貰ったけれど、

それが誰しもにとって
絶対的に良い物と言い切れる確信は正直全くありません。

触れたひとの人生にとってのノイズになってしまう可能性だって十分にあるのでは、

とも思っています。

 


美術は(今のところのわたしにとっては)選択肢のひとつです。

今はただ、自分がすきだなあと思っているものを

他のひともすきになってくれるかもしれない、
面白いといってくれるかもしれない、

そんな小さな喜びからしかイベントを行なっていないと思います。(ごめんなさい)


 

そんなわたしにとっての小さな喜びが、

今まで授業以外で美術に触れてこなかった子どもたちへ教育的にどんな意味を成すのか、

またそんな
大人たちの人生にどんな"イイモノ"を持ち込むのか、


半信半疑ながらも、なんとか見つけ出そうと色んな話を聞いたり、実践したり、

探している日々です。

 

 

 

 

 

 

 

そんな悩んだり迷ったりしているわたしがいるまれびと美術館ですが、

今後も各地でイベント盛り沢山になりそうでわくわくです。

 

まれびと美術館、元々「まれびとハウス」から取られたネーミングではありますが、

先日ゼミ長?先生?の平野さん

 

 

  『まれ美=まれびと美術館は、どこにでも突然あらわれる、美術館らしくない美術館。

   もともと、まれびととは、時を定めて外界から来訪する霊的存在

   あるいは旅人・遊行者のことをあらわす用語。

   「客人」とか「稀人」という字を当てるらしい。

   外から突然やってきて、そこを一夜限りの美術館にしてしまう。 

   まれびと美術館というネーミングは、

   意外と今の僕たちがやりたいことをよく表しているのではないかと思う。

   もともとは、まれびとハウスでやるからまれびと美術館、

   という短絡的な発想なわけだけど…』

 

 

と呟いていたように、

ほんと身体は名の後についてくるといいますか、

気付けば非常に"まれびと"っぽく化身しながら

メンバー各自大事なものを探し、見つけ、

みなさまに共有しながら楽しんでいく所存ですのでどうぞよろしくお願いします。

 

 


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 はじめてのナビゲーター

 

文字起こしするのが非常に恐ろしい