10/13まれ美 in co-ba library を終えて
先日、渋谷にあるコワーキングスペースco-ba libraryで行われた
対話型鑑賞イベント「まれ美 in co-ba library」にご参加頂いた方、ありがとうございました。
開催前は毎度不安でいっぱいなのですが、
今回も参加者の皆様に充実した時間を過ごして頂いたようで、
ほっと一安心しています。
イベントレポートはきっと代表の平野さんが書いてくれるのでお任せすることにして(笑)
昨日のco-baでの「まれ美」、
そして2週間前に三田の家で行われた「まれ美〜この街、ほんとにないの?架空の街の『空想地図』をみんなで鑑賞!〜」
まれ美史上初の短いスパンで行ったイベントに関して
思うところいくつかあるのでポツリポツリとした呟きを頑張ってまとめていきます。
◎運営について
まれ美に限らず、多数のイベントやワークショップの運営スタッフとして関わらせて頂いていたり、
それとは別にカフェイベント実践用に、汎用性の高いマニュアル作成をさせて頂いている関係もあり、
イベントを催す上で"企画力"ではなく"運営力"について考えることがとても多くなりました。
どのイベントにもその場所のカラー、逆に言えば制約があるので、
そのルールに則って、どこまで最大限のパフォーマンスをすることが出来るか、ということを考える必要があります。
「まれ美」では毎回イベント中にお出しするご飯を担当させて頂いており、
今回のco-baでの場合は、準備時間や設備の関係上、
サンドイッチをデリバリーをせざるを得なかったのですが、
届けられた紙の箱のまま出すのではなく、ちょっとしたピクニック気分を味わえるように事前に木製の箱を購入し、
柄の入ったペーパーを引いてその上にサンドイッチ並べてみるというようなことをしました。
箱のままとそうでないもの、実際両方のパターンを並べて比較することはイベント参加者の方には出来ないので、
もしかしたら何も気付かれないくらい小さいことではありますが、
その小さなことがイベントの重層感を増すのだとわたしは思っています。
(だってたとえば、美味しそうなローストビーフが紙皿に乗っていたら、少しテンションが下がるでしょう?
料理に限って言えば、お皿の重さが、料理の品位をはかるものだと思っています。)
とても細かいことですが、ごはんを食べるなら、お手拭きは用意出来ているか、
万が一飲み物などを零されたときに対応できるように布巾を準備しているか…
料理に限った話ばかりではなく、例えば荷物置き場はきちんと準備されているか、
受付から荷物置き場に至るまでの動線に不備は無いか、
受付でお金を預かる際、お金を出し入れする容器が封筒のまんまじゃ格好悪い。。。
手作り感を大事にするもの、カジュアルさを前面にするもの、
それぞれイベントのイメージカラーがあるので、
何も全てのイベントに大して重厚さ、完璧を強要する必要はないですが、
どんなイベントカラーであれ、来て頂く方へのおもてなしの心を忘れずにしていたいと思っています。
今回のイベントにて、上記全てがクリア出来ていたかと問われれば、残念ながらそうではないのですが…
イベントを行うときって、コンセプトや学びとして何を持って帰って貰うかについて事前ミーティングで話されることは多くても、
当日どのように会場をデザインするか、スタッフが振る舞うか、
余程大規模なイベントで無い限り語られないことが多いように思います。
企画ではなく、運営を担当するスタッフは得てして作業要因になりがちです。
(そして大きくないチームはここで揉めることも多い気がする。
イベントをやりたがる人って当然のようにみんな企画をしたいひとだからね。。。)
その"作業"の部分を如何に作業と感じずに行うことが出来るか。
其処がイベントの完成度を変える大きなポイントだと思っています。
とは言え、何も具体的な解決策は出ていなくて申し訳ないのですが。
イベントを行う上で、規模別に最低限チェックしなければならないポイントを記したマ
ニュアルがあれば便利ですよね。きっと。
作りましょう。
(いや、作っています。)
◎対話型鑑賞、今後のまれ美について。
今までのまれ美では、スタッフということを極力隠して、いち参加者のフリをして対話型鑑賞に混ざっていました。
(知人が参加者にいた場合、彼らには直ぐにバレてしまうのですが)
鑑賞の数を重ねていく上で(また、自分が作る側の人間であるということも大きいのでしょうが)
初見の作品であっても、この作品は最低限この部分には触れなければいけないな、とか
この作品を語る上では対話(そして議論)はこのレベルまで達しなければならないな、などが
少しずつ判るようになってきました。
ただ、もちろん対話とはナマモノであるので、
その回の対話が意図するポイントに至らず、いつまでも同じところをぐるぐる回ることもあります。
最近ではその団体の思考ぐるぐるに一種の起爆剤として、参加者のフリをしながら一言足してみたりしていました。
(この行為に関しては、対話型鑑賞を考える上で、
そもそもリードする鑑賞者がいるということは許されるのか、という疑念が残っている
というようなことを代表の平野さんとも話をしたりして、
わたし自身今後まれ美で、この行動をどうしていこうか、
黙りに徹しようか、それでも対話が中々弾まないグループだったら誰かリズムを作る人間がいた方が…と悩んでいる部分ではあるのですが…)
ともあれこの視点って最早鑑賞を後ろから眺めるいちスタッフの視点ではないなあと思い
今までちょっと怖くてしてこなかった"鑑賞ナビゲーター"を次回こそはさせて頂くことにしました。
"ナビゲーター"はストーリーテラー、もうひとりの作者だとも言われています。
元々わたしは鑑賞や美術館・博物館について研究してきた人間ではないので、
ナビゲートの仕方や、会話の引っ張り方、まれ美での作法からはもしかしたら少し外れるのかもしれないのですが、
いちアーティスト(作者)として、やってみることにしました。
次回まれ美に参加される方は(まだイベント自体いつ何処でやるか全然決まってないけれど)
よろしくお願いしますね。
そしてわたしがナビゲーターをやってみたい、と思ったことにも関連しているのですが
最近は対話型にかぎらず、美術鑑賞というものが企業の人材育成、コミュニティ形成、
また個人に対する教育にどういった影響を与えるのかに非常に関心があります。
対話型鑑賞はまれ美に限らず多数の美術館などで行われていますが、
美術館で行う以上、元々美術に関心のある人へ向けてが前提になってしまいます。
普段美術館に来ないユーザーへのアプローチをどうにか出来ないか、
これはまれ美でも悩んでいることのひとつです。
わたし個人的な意見としてはまれ美はそもそも美術館ではなく、
今となっては便宜上(むしろ流れのままに)美術館と名乗っているだけに過ぎず、
三田の家やco-baで行わせて貰ったように、
"まれびとハウスで行うもの"という前提が取り払われた今、
そもそもイベントとしてお客さんを招致する必要もないのでは、と思っています。
これは美術・芸術に対する意見でもありますが、
美術鑑賞はわざわざ美術館に行く絶対的理由はないはずで、
今後その箱そのものが取り払われていく動きになってもいいのでは。
(そのために美術について理解を深める→深めるために対話型鑑賞というのが今までの流れなのでしょうが…)
その箱が取り払われたとき、人々は美術に限らず、
あらゆるものを鑑賞する目を持ち、その目を持った状態で生活や仕事にどう対峙出来るか、
それを見てみたいと思っています。
そして嬉しいことにまれ美には「美術鑑賞」というキーワードを元に
色々な方向を向いたひとたちが集まっています。
企業や学校に入り込む形や、東京を離れて少し田舎の方にアートを持ち込む形、
まだまだ実現していきたい可能性が沢山ありますので、
どうぞみなさま今後共よろしくお願いいたします。