散文 #3

 

最後にちゃんと他人に好きと言った日のことを思い出す。

秋の早朝ベランダで

部屋で未だ眠るシェアメイトを起こさないように窓をきっちり閉め切って

わたしは泣きながら震える手で携帯電話を握りしめていた。

 

どんな言葉を放ったのかはもう覚えていないけれど

相手の潔い告白に振られているにも関わらず清々しい気持ちになったことは覚えている。

 

 

数ヶ月後のこと

相手から時間を巻き戻すような電話が来たけれど

その頃のわたしはむしろ早送りのような毎日で

自ら好きと言ったあの日のことを思い出そうにも

まるで自分じゃない女優が演じるテレビのワンシーンを観ているかのような

遠い遠い、不思議な気分で

ああこれが失恋か、と思ったことも覚えている。

 

自分の気持ちが砕かれることよりずっと

確かにここにあった筈の強い気持ちがすうっと失われていくことを知るのが怖く

もうしばらくは他人に好きと言えていない。

散文 #1

 

不意によしもとばななの「とかげ」を読み返したくなり

取り憑かれるように購入したら止まらなくなり

狂ったように著作を4冊も購入してしまった。

 

大好きだった「キッチン」もその中に入れたかったのだけど、どうしても見つからず

まあこんなこともあるだろう。

 

 

 

よしもとばななの作品に出てくるような男の人が好きだったので

そんな男の人と付き合ったこともあったけれど

よしもとばななの作品に出てくるような男の人は不思議なことに恋をすると

魔法が解けたかのように普通の男の人になってしまうのが残念でたまらなかった。

 

 

その昔よしもとばなな系男子と付き合っていた頃

「『キッチン』を読んだらどうしてもカツ丼が食べたくなったんだ」

と呼び出されたのがたまらなく嬉しくて

夜中に家を飛び出したことを思い出す。

例に漏れずその人も、魔法が解けるように消えてしまったけれど

今となってはそんなエピソードだけが眩しく残る。

友人の恋人

 

昔からなぜか男女問わず友人に

「恋人があなたに似ている」

と言われることがとても多い。

 

今日もまた

「稀有な性質を持ったあなたに似た恋人」

の話で盛り上がり

ふとそれはどうしてなのかと問うてみた。

 

すると

「あなたはどこかプレーンな性質があり、そのプレーンさが他者を投影しやすいのかも」

とのお答えが。

 

 

どこかわたしに似た恋人の話を聞きながら

わたしを探すカウンセリングのようなランチの時間。

幸福論

 

毎日をとても充実して過ごしている友人に

「楽しそうでいいね」と投げかけたら

「みみこさんは今幸福ではないのですか?」を返されたところでふと気づく

 

自分を“メンヘラ”なんて揶揄したことは多々あれど

私は私の人生を不幸と思ったことはこれまで一度も無かったのだ。

朝と夜の際に

 

 

寝る間際までスマートフォンをいじる―

起きている間は、出来るだけ多くの情報を取り入れては処理をするような習慣は

実は己の創造性を著しく欠如させているのではないかと思い

とても久しぶりに寝床にスマートフォンを(勿論パソコンも)持ち込まないでみた。

 

 

真っ暗な部屋で目を瞑り、寝る行為に集中する。

これまで何千回と当たり前に繰り返してきた行いに、改めて意識を向けてみると

毎夜、如何に恐ろしいことに立ち向かっているのかとおののいた。

 

人は起きている状態と眠っている状態の際をいつまでも見ることが出来ない。

「寝るぞ、寝るぞ」と構えながら、いつこの意識を手放すのか永遠に知ることはない。

(当たり前なんだけど、気付くという行為は、起きている状態だからこそできる行いだ。)

 

起きている状態と眠っている状態の際とはなんだろうと考えはじめた先で、

では生きている状態と死んでいる状態の際とはなんだろうという問いに立ち当たる。

「死ぬぞ、死ぬぞ」なんて構える余裕がどれほどの人間にあるのだろう。

また構えたところで、その際を知ることなんて出来るのだろうか。

私が今立ち向かっている「寝るぞ、寝るぞ」という際が

死の際でないなんて、どう約束できるのだろう…

なんてことを考えて、齢27にもなって恐ろしさに身体を震わせてしまった。

 

 

ああ今日も夜がやってきてしまった。

掬い

 

 

もし貴方にとって私が「救い」になってしまうなら、

その「救い」が果たされた瞬間から、私は貴方の前から消えてなくなることを願う。

 

恩のような重いものを、追って生きていく自信がない。

 

 

 

 

だから「救い」になりそうに無くて良かった。

生まれ変わろうと模索する貴方の変化を、私が楽しめそうで良かった。