死について
父親のことが大嫌いな子どもがいて
多感な思春期には「ころしてやろうか」と本気で思ったりもして、
時が経ち親元をようやく離れられるようになった後は
もう何も無理して関わる必要などないのだと
数十年も顔も見ず、声も聞かずに過ごした後、
何処かでひっそりと父親が死んだことを聞きつけ
その抜け殻の前に立ち
ようやく同じ血が流れているなどという
奇妙な呪縛から解き放たれることに対し
「せいせいしたぜ」と一言呟いたあとに、
喉の奥、胃の奥、いや足の裏側から
込み上げるなんだか心地の悪いものを感じ、
恐る恐るその心地の悪いものに耳を傾けてみると
「どうしてこうなってしまったのだろう」
「もっとうまくやれなかったのだろうか」
という小さな呟きが聞こえ、
我が親の死すら素直に悲しむことの出来ない己に絶望しては
けして晴れることのないこの濁った言葉を知ったとき
ほんの少しだけ、涙が出る。
それが今考えうる現実的な死について。