規則的に生きる

 

2週間に1度、まれびとヨガ と(勝手に)称して我が家 でヨガをやっている。

元々他の住人がホスト&参加していたイベントを、

その住人が家から少し離れるということでホストを受け継いだものなのだが、これが中々に楽しい。

 

以前にも文章に認めたように、自分の身体との対話、という意味で

今まで感じたことのない身体の部位やその動かし方を知れる面白さは勿論なのだが、

先日はホストを受け継いで3回目、ということで

身体的活動を定期的に行うということの良さに気付いたので認めてみる。

 

 

元々規則正しい生活というものが苦手だった。

苦手というより、敢えて避けていたような気がする。

 

毎日同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べるなんて。

お腹が空いたら食べればいいし、眠くなったら眠ればいい。

それに逆らってわざとルールを作るなんて、生物の在り方として正しくはないと思っていた。

 

 

 

しかしここのところは否が応にも(というと言葉が悪いか。楽しく受けていますよ。)

2週間に1回、正確には1ヶ月に2回ヨガをやる機会がやってくる。

 

 

まれびとヨガのポーズの中で呼吸を整える動きがあり、

先生には何も考えない、思考を追いかけないことを推奨されるのだけれど、

大抵は頭を空っぽにすることなど出来ず、

その時々で自分が対面している悩みや問題ごとが頭に巡る。

 

2週間に1度のヨガをはじめて3度目の昨日は、

はじめてヨガをやった時に自分が立ち会っていた問題、

また2度目のときの問題、それらを合わせて振り返ることが出来た。

 

あの時はあんなことを考え、悩んでいたけれど、

今のわたしはその問題を全く持っていないということに気付く。

2週間前、また4週間前のわたしと今のわたしは

全く違う生き物であることを実感したのだ。

(そしてそれは同時に、

 今のわたしが抱えるアレコレも2週間後には思考の藻屑になっていると考えると

 わたしを少し安心させることにもなる。)

 

単に精神を整理し、振り返っているだけと言われればそれまでなのだけれど、

そこに身体性が伴うことで、過去にそのポーズをしていたときの自分の状態を鮮明に思い出すことが出来る。

そのポーズひとつが、自分の過去を整理させ、生まれ変わらせるためのスイッチになっているような、

そんな気すらした。

 

 

 

現代には何処へ行っても時計もカレンダーも存在するので、

便宜上規則正しく生きていくことなんて簡単だけれど、

スケジュールを組んでただそれを正しく遂行していくこと、

それは少し違う気がする。

自分の中で決めた動きを持つこと、自分だけの尺度を持ち歩いて生きること、

その規則性に沿って生きることで、

自身の規則に沿わない変化・差異を敏感に感じ取ることが出来るようになる。

 

尺度ひとつ決めるだけで、世界と自分との距離の測り方

また過去や未来を越えた自分同士の差別化が上手くいくのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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ちなみにまれびとヨガ来月は12日と27日に予定しています。

 

[詳細・参加]

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