散文 #8

 

家とは

帰ればあなたの顔が見れるとか声が聞こえるというのではなく

あなたの持つ空気が、家全体を取り囲みここに所属しているという事実が重要なのだと思う。

だからみんな夫婦や家族という

契約を重んじるのだろう。

 

 

わたしの人生を構成していた存在が一つ消え、

いや消えていないのだけどそこにいるのだけど

それでももう、二度と同じ密度で交差することはなく。

上書きできる分、余程失恋の方がましだわと思ったりしている。

 

 

散文 #5

 

大好きだったマスカラもハイヒールもミニスカートも

今のわたしにはもう必要のないものになってしまった。

 

それは環境の変化もあるけれど

何よりわたしの中に、もうあの頃の攻撃性がないことが大きい。

強く何かを思う気持ちや、強く何かを憎む気持ちに充てられると

すっかり参りきってしまう。

 

そうした強い自分の喪失に切なさを感じながら

弱いまま生きていられるのは偉い。

散文 #3

 

最後にちゃんと他人に好きと言った日のことを思い出す。

秋の早朝ベランダで

部屋で未だ眠るシェアメイトを起こさないように窓をきっちり閉め切って

わたしは泣きながら震える手で携帯電話を握りしめていた。

 

どんな言葉を放ったのかはもう覚えていないけれど

相手の潔い告白に振られているにも関わらず清々しい気持ちになったことは覚えている。

 

 

数ヶ月後のこと

相手から時間を巻き戻すような電話が来たけれど

その頃のわたしはむしろ早送りのような毎日で

自ら好きと言ったあの日のことを思い出そうにも

まるで自分じゃない女優が演じるテレビのワンシーンを観ているかのような

遠い遠い、不思議な気分で

ああこれが失恋か、と思ったことも覚えている。

 

自分の気持ちが砕かれることよりずっと

確かにここにあった筈の強い気持ちがすうっと失われていくことを知るのが怖く

もうしばらくは他人に好きと言えていない。

散文 #1

 

不意によしもとばななの「とかげ」を読み返したくなり

取り憑かれるように購入したら止まらなくなり

狂ったように著作を4冊も購入してしまった。

 

大好きだった「キッチン」もその中に入れたかったのだけど、どうしても見つからず

まあこんなこともあるだろう。

 

 

 

よしもとばななの作品に出てくるような男の人が好きだったので

そんな男の人と付き合ったこともあったけれど

よしもとばななの作品に出てくるような男の人は不思議なことに恋をすると

魔法が解けたかのように普通の男の人になってしまうのが残念でたまらなかった。

 

 

その昔よしもとばなな系男子と付き合っていた頃

「『キッチン』を読んだらどうしてもカツ丼が食べたくなったんだ」

と呼び出されたのがたまらなく嬉しくて

夜中に家を飛び出したことを思い出す。

例に漏れずその人も、魔法が解けるように消えてしまったけれど

今となってはそんなエピソードだけが眩しく残る。