愛したから住んだのではなく、住んだからそこを愛した
移住[いじゅう]:住む場所を他の場所に変えること
“移り住む”ということについて話す機会があったとき、大抵同じことを伝える。
「一度でいいから雪国か、もしくは水辺の町で暮らしたい」。
生まれが暖かい土地だったため雪に憧れが強いこと、
そして水辺の町はそれが海であっても川であっても、
隣接する家々が如何に水と共存していくかに念頭に置かれてデザインされているのが面白いから。
理由はただただそれだけ。
この頃は東の都を遠く離れ、地域の魅力を満喫しているような記事が散見されるけれど
正直わたしはこの都会に対していやな気持ちは特に無い。
謂わば18歳で上京したことこそ、人生最初の移住体験だったろう。
だってもう二度と、生まれた町に戻るつもりはなかったから。
海辺の小さな、すれ違う人がみんな遠い親戚であるような町で育ったわたしにとって
都会の無関心な寛容性が嬉しくてたまらない。
来た当初は「道行く人が誰もわたしのことを知らないなんて!」といたく感動したものだった。
だからといって緑多く、交通機関少ないような場所に嫌気をさしている訳でも勿論無く。
大切なものは一度失ってから分かるとは正にその通りで、
臭いものに蓋をするように避けてきた故郷の町に10年振りに身を寄せてみると
あの頃飽きるほど眺めた水平線が、どれだけ価値のある美しいものだったかと初めて知ることになった。
結局わたしはきっと世界中どの景色も愛してしまうのだろう。
朝日照り返す砂浜も、高層マンションのてっぺんから見下ろす夜景も、
果てや駅ハズレの小さく寂れたラブホテル街なんかも。
自分の住む場所に誇りを持つことは、何も自分が住まなかった場所を蔑むことではない。
良くも悪くも迎合的な性格であるので、
地理的な意味でもコミュニティ的な意味でも、
きっと世界中のどこででも生きていけるだろうと妙な自信を持っている。(但し雷の多い場所だけは除く)
移り住む前に強く期待を持つこともなければ、移住後に強く不満を言うこともないだろう。
どこにいたってきっとその地の日常で、毎日小さな幸福を集めて生きていくのだ。