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みる人

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野球観戦にはまってしまったお陰で、

すっかり映画館や美術館へ行く機会が減ってしまった。

 

けれど感覚的にはどっちがどうであるとかあんま変わらないんだよなあ。

 

わたしはきっと何を観ても何かを見出すし、考えてしまうから。

勝ちと負け

 

 

連日オリンピックや高校野球がメディアを賑わしているけれど、

変わらずペナントレースばかりを目で追ってしまうのはそれが「大舞台」で無いからだとふと思う。

 

歴史的勝利をおさめても、目も当てられない大敗を期しても、

明日も同じように試合がある。

 

それが人生であり生活だ。

 

どんな気分なんだろうな、毎日明確に勝ちか負けかを手に入れるような生活は。

はやりもの

 

 

自分が一度好きになったものを、いつか好きでなくなる

ということにひどく怯えがあって

流行りものにはなるべく近づかないようにしている。

 

 

 

なんとなく

 

おうちに棲むひとたちの歓送迎会だったので、みんなで餃子を食べた。

こういう日は決まって餃子を食べる。

包んで、焼いて、食べるところまでみんなで一緒にできるから。

あと、それぞれ好きな具材を包むことができるのも良い。

今日は持ち寄った手作りりんごジャムやタコスの材料も一緒に包んだ。

 

わたしたちはひとつのコミュニティにいるので、仲良くしましょう!

…というのはとても気持ち悪いし、

これから同居人になるので、深い話をしましょう!

…というのも具合が悪い。

 

ただなんとなく、一緒にいるのが好きだ。

なんとなく一緒にいながら今日食べたご飯や天気の話をしたりして

その日の気分でちょっと自分の夢を語ったりもしちゃって

ゆっくり、近い存在になっていくのが良い。

 

 

贅沢

 

 

お金を払えば贅沢ができるのは、ある意味当たり前のことで

(そして贅沢をするにはそれが一番楽な手段でもある)

それとは違う方法で贅沢を享受してしまったとき、

何を対価として差し出せるのか、私は未だに答えが出ていない。

 

こちらがお金を出そうとしたその時の、

怒りにも哀しみにも似たあの瞳に気付き、

自分はなんと愚かなのだろうと思い知らされた。

 

何かを貰った分だけ、返せる“何か”をずっとずっと求めている。

それが見つからないうちは、頂けるものをとにかく目一杯心から

味わい尽くすことだけ心掛ける。

螺旋

最近いろんなことがうまくいっていなくて、

毎日のようにべこべこに凹んでは、自分を鼓舞して、また潰されるのを繰り返している。

 

人生においてもうすでに何度かこういうことは訪れていて、

その度に毎回決まって同じ言葉に出逢う。

 

普通に日常を生きているタイミングでは気にもかけない言葉なのに、

こういう時にだけ図ったようにやってくるんだ。

その度に「ああ、結局ここに戻ってきてしまったか」なんてちょっと落胆する。

一日一日少しでも前進することに努めて生きているつもりだけど、

結局同じことの繰り返しなのかなって。

せめて螺旋のように、同じ点状でも階層が変わっていることを望むのだけれど。

愛したから住んだのではなく、住んだからそこを愛した

 

移住[いじゅう]:住む場所を他の場所に変えること

 

“移り住む”ということについて話す機会があったとき、大抵同じことを伝える。

「一度でいいから雪国か、もしくは水辺の町で暮らしたい」。

生まれが暖かい土地だったため雪に憧れが強いこと、

そして水辺の町はそれが海であっても川であっても、

隣接する家々が如何に水と共存していくかに念頭に置かれてデザインされているのが面白いから。

理由はただただそれだけ。

 

 

 この頃は東の都を遠く離れ、地域の魅力を満喫しているような記事が散見されるけれど

正直わたしはこの都会に対していやな気持ちは特に無い。

謂わば18歳で上京したことこそ、人生最初の移住体験だったろう。

だってもう二度と、生まれた町に戻るつもりはなかったから。

海辺の小さな、すれ違う人がみんな遠い親戚であるような町で育ったわたしにとって

都会の無関心な寛容性が嬉しくてたまらない。

来た当初は「道行く人が誰もわたしのことを知らないなんて!」といたく感動したものだった。

 

だからといって緑多く、交通機関少ないような場所に嫌気をさしている訳でも勿論無く。

大切なものは一度失ってから分かるとは正にその通りで、

臭いものに蓋をするように避けてきた故郷の町に10年振りに身を寄せてみると

あの頃飽きるほど眺めた水平線が、どれだけ価値のある美しいものだったかと初めて知ることになった。

 

 

結局わたしはきっと世界中どの景色も愛してしまうのだろう。

朝日照り返す砂浜も、高層マンションのてっぺんから見下ろす夜景も、

果てや駅ハズレの小さく寂れたラブホテル街なんかも。

自分の住む場所に誇りを持つことは、何も自分が住まなかった場所を蔑むことではない。

 

良くも悪くも迎合的な性格であるので、

地理的な意味でもコミュニティ的な意味でも、

きっと世界中のどこででも生きていけるだろうと妙な自信を持っている。(但し雷の多い場所だけは除く)

移り住む前に強く期待を持つこともなければ、移住後に強く不満を言うこともないだろう。

どこにいたってきっとその地の日常で、毎日小さな幸福を集めて生きていくのだ。