弱さと強さ

 

今年の目標を「健康」と定め

我が家のオーガニックコンシェルジュにアドバイスを頂きながら

これまでの人生からは考えられない健康的な生活を送っている。

 

ここのところ夜24〜25時には就寝し、朝は7〜8時には目覚める。

朝ごはんは果物とヨーグルト。

朝ごはんをまともに食べるようになったのなんて小学生以来だ。

余裕がある日はなるべく朝は2駅分程歩いて汗をかく。叶えば夜も同じように。

 

本格的なひとに聞かせれば「何よそれしきのことで」と笑われるかもしれないが、

これまでの堕落した生活リズムからは考えられない、

数年前のわたしが見れば涙する程の健康的生活リズムである。

 

 

生活リズムを整えることで果たして目標の「健康」に到達したかと言われると

それは正直実感が無い。

(なんせ健康なんてものは0であって当たり前、怪我や病気などマイナスの出来事によってその存在を知る悲しい感覚だ。)

ただ、自分の身体の感覚に対し敏感になったことはわかる。

心地いいところ、痛いところ、今まで気付かなかった身体知を知り、

まるで改めて生まれたかのような気分でもある。

 

 

 

しかしそれは良いことばかりというわけではない。

健康的な身体は、少し敏感すぎるきらいがある。

何かというと、以前に比べ鼻が利きすぎる。

今まではなにも感じたことのないデパートの化粧品売場、

良い香りだと信じてやまなかったいくつかの石鹸ショップ、

一番驚いたのはすれ違うひとの加齢臭。

鈍感だったわたしが通り過ぎてきたもののいくつかが、今は不快な障害物になってしまった。

 

 

 

 

こういうこと、実はもうひとつ別の方向で感じている。

 

 

 

 

自分自身は触れるわけではないが、周りに関連のひとたちが多いので

WEBやらデバイスやらのデザインに対して有難いことに敏感になっている。

ユーアイ、とかユーエックス、とか、まだまだ理解には遠い部分はあるけれど、

何が快で何が不快かくらいは肌感覚でわかる。

 

(そんなのわかって当たり前じゃん、とそういうひとたちは言うけれど、

 数年前まで普通にIE 等を触っていた人間は貴方方が思っている以上に鈍感なのですよ。心地いいものを心地いいと感じることにも一定のリテラシーが要る。)

 

心地いいデザインを知ることで自分にとっての心地よさに敏感になる、

しかしそれに比例して、心地良くないものに厳しくなっていく。

 

昔だったら何も感じずに読めたテキストがたっぷり詰まったページは

ひと目で不快感を覚え、たとえどんなに自分にとって有用な情報が書かれてあると知っていても

それ以上読み進めることができなくなる。

 

 

 

こういうことが多々起こる度、美しいもの・心地良いものに敏感になるのは

どういうことなんだろうと考える。

たくさんの美しさを知ることは、たくさんの醜いものを見つけることに等しいのではないだろうか。

 

 

身体にとっての健康や、精神にとっての健康を求める(=強さを求める)ことは、

一方自分にとっての弱点を増やしているだけなのではないだろうか。

 

そんなことを、思う日々です。