じぶんのからだのあそびかた

 

毎月恒例のホスト業となりましたまれびとヨガ

早いもので、もう5回目になりました。

 

毎回自分の身体や呼吸に関して、新たな気付きを得るのだけれど、

今日は何が進歩って、身体の硬いわたしが前屈して手が床に付いたってことです!!!

(身体の柔らかいひとにとっては理解し難い感動だと思うのですが、これ凄いことなんですよ。)

いざ達成してみても、以前と身体の扱い方がどう違うのか、

全く説明は出来ないのだけれど…

(とか言うと先生に「考えるんじゃなくて感じて!」と怒られてしまいそうだけれど)

 

 

自分の身体が以前に比べて、確実に変化してきていることを感じながら(前屈しながら)

ぼんやりと、もっと小さかった頃の、身体の柔らかい友人のことを思い出した。

 

身体の硬い・柔らかいと、運動神経の良し悪しは微妙に比例せず、

彼女は運動神経はそこまで良くないものの(足はわたしの方が早かった)

器械運動マット運動などは得意げに

先生に何を言われずとも自分から喜んで身体を捻ったり、浮かせたりして遊び、

その姿は傍から見るとなんだかとても気持ちよさそうに見えたものだった。

 

気持ちよさげに見えるからといって、

勿論おいそれと出来るものではなく、

わたしにとってはまるで苦行のようで、身体の節々があげる悲鳴を

ひとつひとつ取り上げては毎度それらを甘やかしていた。

 

 

今日はじめて、自分が今まで限界値だと思っていた場所を

安々と越えて思ったことは、

わたしは自分の身体に対する探究心や、冒険心が足りなかったんだなあということ。

身体の悲鳴をちゃんと聞き取ろうとすることを否定はしないが、

(多くの現代人はこれが出来なくて困っている節がありますし)

気持ちよさそうに身体を捻っていた当時の友人は、

まるで自分の外にあるおもちゃを扱うように

自分の身体で遊んでいたんだなあと思った。

 

「これをこうしたらどうなるだろう」とか

「もう少し向こうまでいかないだろうか」とか

幼い頃の積み木の一人遊びのように。

 

 

 

"自分の身体の扱い方を知る"

と言い切ってしまうとなんだか少し観念的で、

それこそ頭でばかり考えてしまいがちな気がするけれど

"じぶんのからだのあそびかた"

にすると、もうちょっと色々うまくできそうな気がするぞ。

 

うん、これはいいかも。