ミュージアム・トリップ vol.3 ~対話式鑑賞法って何?!~ に遊びにいってきました。

 

「まれびと美術館

(通称 まれ美)

の企画・代表でもあり、そこから派生した

「まれびと大学(仮)」の平野ゼミ 教授でもある平野智紀さんが出演されるということで

お台場にて行われた

「ミュージアム・トリップ vol.3 ~対話式鑑賞法って何?!~」

というイベントに遊びに行ってきました。

 

 

 

タイトルにもある通り、このイベントは美術館との新たな繋がり方を見出す企画第3弾で、

平野さんが主に研究されている"対話型鑑賞"を今回はテーマに扱われたものです。

(対話型鑑賞に関しては上記リンクに詳細が記されているのでここでは語らないことにします。)

 

イベントの"対話型鑑賞"の鑑賞対象となる作品に

わたしの作品を使用して頂きました。(今回で実は3度目)

 

 

f:id:mimicocco:20120424022806j:plain

↑わたしの作品をナビゲートしている平野さん

平野さんの行う対話型鑑賞イベントは大抵こうして作品を前面にプロジェクションします。

 

 

 

 

まれびとハウスでの対話型鑑賞イベントとその後に三田の家でのイベントにも遊びに行かせて頂いたのですが、

今回は場所が場所だったために、

プロジェクションも壁3箇所を使用した投影、

ナビゲーターはマイクを使用してのナビゲートと、

今までにない大きな規模で行われていました。

 

大きいのでその分参加者も多かったので、その面では良いと思うのですが、

肝心の"対話"という意味では少し残念な場所の使い方のように思われました。

というのも、今回のイベントで行われた"対話"とは殆ど鑑賞者とナビゲータの一方向にしか行われないものだったためです。

 

平野さんの研究、実践されている対話型鑑賞に於ける"対話"とは、

ナビゲータの存在が重要なのは勿論ですが、彼らと鑑賞者であるわたしたちだけの関係でなく、

作品と鑑賞者に行われるもの、また鑑賞者同士で行われる対話も含まれているとわたしは思っています。

 

場所が大きく、また鑑賞者が基本座ってご飯を食べるような姿勢の今回のイベントではまず

作品との距離を自在に鑑賞者がコントロールすることが難しかった。

(平野さんはまず、様々な方向や角度、距離を変えて作品を鑑賞するように薦めます)

作品との距離はワンパターンである必要はなく、時期や空間によって様々に形を変えることで、

見え方・与えられるものが変化されるべきだと思っています。

 

そしてマイクを受け渡す方式の発話では、鑑賞者同士、他人の視点や意見に影響されていく"対話"の面白さが

削られていたように思いました。

グループでの対話には波があり、ひとりの発話から主題がコロコロ変わることで、

それまで自分が見てもいなかった観点に気付かされるものです。

 

 

以上のような、わたしが対話型鑑賞を面白いと思っているポイントのいくつかが

削られていたので、鑑賞者としても少し消化不良な感じがしました。

 

 

 

しかし、そのような形式でも"対話型鑑賞"と銘打つことで

ただ作品に対して情報という説明を与えられるのとは少し訳が違う、

キャプションの隣に作品の概要が並び、それを口頭で説明されるのとは異なり、

まず一度、自分の頭で考え、自分の言葉に起こし、その後で情報などについて知ることで

それらの情報をとても自分ごとにしやすい、

自分に引き付けることで理解・納得力が凄く変わってくることも改めて認識させて頂きました。

 

 

 

 

 

また、前述のように今回で3回目になるのですが、

同じ作品で何度も対話型鑑賞をして頂く、というのも非常に面白いものでした。

(ちなみに作品はこちらのブログ記事を大きくしたものです。)

更に今回はゲストに東京都写真美術館の学芸員である山峰潤也さんがいらっしゃったので、

鑑賞の最後の方は講評のようになり、

とても嬉しくて有難い反面、他のお客さんに申し訳なかったり…

 

ただ作家としては、鑑賞者の飾り立てない生の声を聞けるという意味で、

対話型鑑賞にお邪魔するというのは非常に美味しい体験だと思っています。

 

 (ちなみにわたしの作品「ぬくまちくんとささこ」

  個人ブログ「ガラテアソーマ」にてなんとなく連載されている記事の一種で、

  この写真とこの言葉の組み合わせである必要はない、

  別々の組み合わせで見つめることが出来、都度意味合いが少しずつ変わっていくかもしれない、という

  『幸運なランダム性』とでも呼べる写真と言葉の一種のコラージュ作品のようなものです。

  これらの写真と言葉の間にある"溝"のようなもの、

  その"溝"を埋める鑑賞者の視点の拡がり方が対話型鑑賞に適しているのではないか、

  というのがわたしの見解です。)

 

 

 

壇上にて、平野さんと同じくゲストの奥本素子さんが仰っていたのですが、

ある一定の年齢を超えると、対話型鑑賞は作品をみると同時に、

鑑賞者の経験や人生を見るのに等しくなってくる。

わたしもつくづくそう思います。

ひとつの作品に対してまずどういう方向から視点がはじまるのか、

他者の意見を聞いた上で、その視点をどう動かし、どう反応が変わるのか、

その全てが個人を語ります。

わたし自身、鑑賞し発話することで恥ずかしくなった経験も。

「ぬくまちくんとささこ」のような作品だと特にそうですね)

 

個人を語るのはそのひとの持つものではなく、

そのひとが物事をどのように見つめるかではないのだろうか、

というようなことも感じさせてくれる対話型鑑賞。

"対話型鑑賞"というと何だかきちっとした形式があるように聞こえますが、

要するに誰かと一緒に作品を見ながら対話をすればいいのです。

 

気になる相手との最初のデートといえば映画館が主流ですが、

作品を媒介にゆっくり相手と対話することが出来、

そのひと自身を見つめさせてくれる美術館でのデートも中々オススメです。

 

 

 

 

 

 

平野智紀さん個人HP            

http://www.tomokihirano.com/

猫田耳子写真ブログ 「ガラテアソーマ」 

http://blog.goo.ne.jp/mrs_chocolate

「ぬくまちくんとささこ」特設ブログ        

http://ameblo.jp/nukumachi/