わたしは夢をみることができない。

最近気付いたことなのだけれど、

残念ながらわたしには世界に語りかけたい意思などはない。

この世界をどう変えたいだなんて、正直いつまで経っても思わないんだ。

なるようになるものしか信じて来なかった。

そうながれていく縁のようなものばかりを愛しんできたし、これからもそうなんだと思う。

 

 

まれびとハウスという場所に居座っているお陰で、

大きな意思や思想を持ち、世界に働きかける所謂リーダータイプのひとたちとたくさん触れ合うことができる。

彼らは夜中じゅう自分の描いているビジョンをキラキラした目で語ってくれる、

そんなこれからの世界を夢見る彼らをみて、本当に格好良いと思う。

他のひとよりも沢山、そういうひとたちの言葉を受けることがただただ嬉しい、幸せだ。

 

 

わたしはどうも、自分のものさしで世界を見るのが苦手なようだ。

(自分のものさしが他のひとのそれと少しスケールが違うだけの話かもしれない。。。)

広い世界を自分ひとりで捉えられない。

311のときも自分の近くの東京の話以外はしばらくは他人ごとだった。

(自分の震えを抑えるのに必死で其処じゃなかったとも言えるけれど)

そこに東北で行動するまっつんのスケールが加わって、遠く離れた世界の意思を見ることが出来た。

世界がどうのではなく、彼がやっていることの力になりたいと思った。

わたしが世界になにかを語りかけるには、きっとこういう方法が最も適しているんだな、とも思った。

 


このままだとわたしが捉えられる世界は小さく、狭いです。

そうしないためにたくさんのひとたちの持つ世界ひとつひとつに触れたい。

ひとりひとりに触れることで、それぞれの世界に触れたいです。

そうやってわたしは世界のスケールを確かめていく。

 

しかし、いまのわたしのままではただ触れることすらちゃんとかなわないことも知っている。

そのために、なにをしなければいけないのかをきちんと考えなきゃ。

 


とりあえず、しばらくの指針は見えました。