大分出張二日目

 

朝から稼働し、大分市美術館→大分県立図書館→アートプラザ(旧県立図書館)と周り、最後に先日も訪れたOPAMの開催展示「モダン百花繚乱」解体ツアーに参加する。

大分市で見たかった場所は全部見れたので満足だが、おかげでへとへとだ。

 

 

以下、昨日の文章を焼き直し。

 

 

 

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明確に“アート”と呼ばれるものに初めて触れた高校時代、

東京芸大先端芸術表現科卒の美術教師が出会いのきっかけだったことが影響してか、当時の私はオノ・ヨーコ中山ダイスケに傾倒し、マルセル・デュシャンの「泉」やミシェル・フーコーの「これはパイプではない」に感化されまくり、ある意味ベタベタのアンチミュージアム思想の持主だった。

そのため大学進学で念願の状況を果たしても、同期生に比べミュージアムに自ら足を運ぶ回数は極端に少なく、また自作の発表においても、用意された展示空間より通り道のような公共性の強い場所を強く好んだ。

 

そんな私が今やミュージアムの研究者に出会い、共にミュージアムツアーや鑑賞イベントを行うだけでなく、こうして遠方まで仕事としてミュージアムに関する調査をしているのが自分でも少しおかしく思う。

 

とは言え、一度強く着込んだ思想を脱ぐのは非常に難しい。

こうして好んでへとへとになるほどミュージアムに訪れても、私の思うミュージアムの最終的で最大の使命はやはり「ミュージアムから鑑賞者を追い出す」ことと信じてやまない。

今日アートプラザの磯崎新 建築展示室(ちなみに今回観た展示企画の中ではこれが一番良かった。展示手法はともかく)にて

「美術館とは、すでに額縁と台座をそなえて、世界中を流動している“作品”の仮泊の場にすぎない」

という一文にたまたま出会ったが、額縁も台座もそしてもちろん仮泊の場も持たない鑑賞体験こそ私が真に望むものでありそれは10年経とうと、どのような情報を得ようと変わらないのだ。

 

 

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こうして何か(たとえ自分自身の思想であっても)を断定的に語るのが嫌で、アートとは一時的な離婚を決意したのに、とんでもない方法で再会してしまったなあ@大分