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「がんとわたし」を考えるワークショップ:レポートという名の雑記


先々週の日曜日、友人の鈴木悠平くんと『「がんとわたし」を考えるワークショップ』を企画しました。



発端

4年前に叔母が、2年前に祖父が、去年は祖母がそれぞれがんで亡くなった。

父方も母方もがん家系で、言ってしまえば私はがんのサラブレットとも言える。

 

私自身にとっての"がん"とは、2人に1人の割合で訪れるかもしれないと

煙草を遠ざけてみたり、塩分を控えめにしたりといったような、

謂わば怯える対象物ではなく、なんとなく、でも確かに

1/2の当たりを引くだろうと信じている未来の身近な存在。

未来の身近な、なんて思っていたけれど、歳も20をとうに越え、子宮頸がん検診の話を多数耳にする昨今、

最早いつか来る未来の話ではなく、今居てもおかしくない現実だとも言えるのでしょう。

 

もし今居たら、来てしまったとしたら

いや今じゃなくてもいつかの私の"今"に訪れたとき、私は何が出来るだろう。何を思うだろう。

そのために、どんな準備が必要だろう。

そのようなことに一度きちんと目を向けたくて、

パブリックヘルスに関する勉強中の悠平くんと一緒にみんなで考えるためのイベントをすることにしました。

 

 

偶然

イベントの日程を決め、内容に関して少しずつ詰め始めた頃

ここ最近自転車ロードレースに嵌っているがため読みはじめたランス・アームストロングによる自伝

『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』が自転車に関する話よりも、

彼が如何にがんと闘ったかに重きを置かれているという偶然に出逢った。

そもそも闘病記のようなものを今までに読んだことが無かったのだが、

生存率20%という闘いへの勝利を諦めること無く執拗に追い続け、

結果勝利した彼の話は(まあ今となってはどこまで事実が書かれているか判らないにしても)

丁度がんとの対話を始めようとする私に熱を加え

不謹慎ながらも「がんとの対話」なんて生温いものではなく、

自分が元気な今のうちにやって来て、そしてそいつを早く倒してやりたいという気にすらさせた。

 (…こういった熱を持ちすぎた際の思いつきは、

 いつか現実とぶち当たったときに非常に後悔することはよく判っているのだけれど。)

 

 

主旨

イベントの方向性を決める上で悠平くんと同意していたことは

「どうすればがんは防止できるのか」といったような家庭医学的な内容にはしないでおこう、ということ。

勿論日々の生活を見直し、ひとつひとつの色形を自分に合ったスピードで変えていくことはとても重要なことではあるけれど、

私達の今回がんに向き合いたい方向性とは沿わないことや、

またそうした語り口はやや偏った論調になりがちな怖さがある。(私も彼もそういった考え方は非常に苦手)

 今回のワークショップの前に悠平くんが企画していた「やさしい放射能のお話」というイベント中に彼も語っていたけれど『薬だけ、また毒だけの性質を持つものはこの世に存在しない』というのは2人共通の見解だ。

 

 

ロールプレイワークショップ

今回、自分がまた自分の身近な存在の人ががんと出逢った時、

何を考えどういった行動をとれるのかについて語り合うにあたって、

4つのシチュエーションを用意してそれぞれロールプレイをしてもらうというワークを考えた。

(医療系のワークショップにはよくある手法らしいですね)

 

参加者の熱の高さや、それぞれの背景の濃さが相まってこれが非常に面白かった。

具体的なシチュエーションやそこでの議論は悠平くんのレポートに明るいので私は甘んじるとして…

いくつか自分にとって新たな発見だったポイントを記しておくことにする。

 

 

特に面白かったのは、参加者の男女1人ずつにシチュエーションだけを与えて

インプロ的に進行してもらった2つ目のワークだ。

がん自体はレベル0で直ぐに命に関わる問題ではない。

ただ、がん細胞の棲家である女性の身体は妊娠中でお腹の子供が助からないかもしれない…

となったときに本人そしてそのパートナーはまず何に向き合うのか、という背景。



このケースに限った話ではないが、

医学の進捗と発展により「がんは死なない」という思いが強くなったからこそ、

死なないがんに出逢ったときどう振る舞えるかが話の焦点になっていく

(実はがんについて考えるとき、"死なないがん"について考えることも私は今回が初めてだったし、皆もそうだったと思う。)


その2人の会話は「それぞれの家族にどう打ち明けるか」という内容に転がっていた。

この転がり方が、全く観点に無かったので非常に驚いた。

がんとは自身(乃至パートナー)の肉体を蝕む病だとばかり考えていたが、

そうなんだよね、それをどう自身が住む社会に打ち明け、彼らと関係性を保つかという重大な問題があるということを忘れがち。

勿論がんばかりの話ではないが、大抵物語に描かれる病と言えば、

死と闘う姿とそれを献身的に支える姿で構成された感動作ばかりである。

しかし、現実はそうはいかない。私達はけして美しいだけの社会に生きているわけではない。

長年付き添った結果、すっかり愛情など色も形も失せてしまったパートナーががんになったとき、

貴方はそれをどうサポート出来るだろう。

また逆の立場で、愛情が無いと分かり切った関係性に於いて自身の病をどう打ち明けられるだろう。

愛情ばかりの話ではない。

それまで自分自身の価値が自分の成してきた能力でのみ社会に評価された人間にとって、

能力を失うこと前提でどう社会に救いを求められるのか。

 

キレイ事は言える、それをしてもらうだけの権利も持っている(婚姻関係だって、社会保険だってそうだ)

でもだからと言って私達の社会はただ権利と義務だけで成立しているだろうか。

 

 

 

死について考えるとは、本当はこういうことなのかもしれないと今回はじめて気付かされた。

私は随分昔に聴いて以来、ハイロウズ『即死』という曲が大好きで

叶うならこの曲で歌われるように自分も即死したいと長い間思っていた。

だけど残念ながら、キレイに一瞬で死ねるような人間なんてそう多くはないだろう。

大抵はじわじわと迫り来る死の足音を聞きながら、誰にその身の回りの世話をしてもらうのか、

最後はどう看取ってもらうのか、もしくはそれすらも叶わないのか、

そのような周辺事実を認識した上で語らなければ、現代の死を見ているとはけして言えないだろう。

(だから人間は躍起になって、自身を看取る存在である子を産むのだろうか…)

 

先程も書いたけれど、がんをはじめ病とはただ身体を蝕むだけの存在ではない。

同時に自身の住む環境を、社会を、じわじわと喰い尽くしていく。

そうあっても丈夫に支えられる環境を貴方は保てているだろうか。

(私は出来てないので矢張り未だに叶うなら即死が良いと幾分思っているのだけれど)

 

 

「がんとわたし」から「しとわたし」

最後である4つめのケース、70代女性の末期がんについてのワークにて

偶然にも参加者の1人がお医者さんの卵で、

その彼が「僕が担当医師なら緩和治療を薦めるケースです」と語ったことで話は閉めくくられかけられた。

人生70年生き、最後に自分の死がなんとなく目に見え始め

それに向かって準備をしながら生きることはもしかしたら一番幸福な死かもしれないと考えがちだ。

でもそれだって、本当にそうだろうか。

偶然私が読むことになったがん闘病記でもある「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」

(著者であるランスは当時20代という若さなので、勿論全然違うケースとも言えるが)

彼のように執拗にがんと闘い続けることを選ぶ幸福もあるのではないかと思う。

 

 

目前に死を用意して、そこまでの道筋をどう飾り彩るかを思うこと。

一方で、いつまでも死という終わりから目を背け、

たとえその逃避が身体をいくら傷つけ、数多の苦しみを得たとしても生きることをやめないこと。

 

 

どちらがより美しいとか、どちらがより強いとか、そういった正しさは死を迎える選択肢にはきっとない。

自分にとっての安寧がどういった速度で動く、どういった世界であるかを知り実行すること。

重要なのはただそれだけのように思う。




おしまい

病や死について考えることは、まあ大抵の場合

「もっと身体に気を使おうとおもいました」とか

「身近な人との関係を大事にしようとおもいました」とかいった感想で締めくくられるし、

そうでなければどう落とし所をつけていいか判らないのは今回のイベントも同じで。

だけど、上記のような決意は散々語られているように多分全く意味が無い(たぶん)

なるべく"よき今"が長く続くために身体や関係に気をつかうことはできても、

遠い先の自分の延命のために色々な関心を広げることなんて今も未来も私は出来ない。

 

また、安全な身体と環境を持った状態で、いくら死や生について考えたとしても

自分が全く違う環境に身を置いた場合、事前に練られた思考なんてきっと簡単にリセットされるだろう。

(身近な体験だと311がまさにそうだった)

 

とは言え、自分がまるで死なないように振る舞うことや、

それを忘れて見ないふりをすることも私には出来ない。

未来の延命のためにすることはなくっても、

未来の終わりのために少しずつ安寧の貯金をしておきたいなあと、せいぜい考えている。




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今回のイベントごはん
・タンドリーチキン
・タラモサラダ
・ゴーヤのピカタ
・大根とハムのマリネ







追記

死について考えるときセットで葬儀について考えるのだけど

わたしは「即死」と同じくらい随分前から、自分が死んだら「鳥葬」が良いと思っていて、

そのためにはチベット仏教もしくはゾロアスター教に改宗する必要が(多分)あるので、

老後はチベットもしくはインドで住むのか〜できるかな〜と今からちょっと不安。