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寄り添う、ってなんだっけ

 

不意に友人に

「"寄り添う"とはどういう状態のことを言うの」

と聞かれ、どきりとした。

 

いつかのわたしは自身の専売特許のように"寄り添う"を行使していたにも関わらず

まずはじめに「寄り添う、ってなんだっけ」という疑問が頭に浮かんだ。

 

 

しばらく考え、その友人にこう答えた。

「わたしは視覚状態に依存してしまうので、状態表現としても視覚を使うことが多い。

 対象の目や仕草を見るのでなく、その輪郭を何度も視線でなぞる。

 そこから得られる対象の状態情報を、否定も許容もせずただじっと眺めること。」

 

 

答えながら、視線で何かをなぞることを久しくしなくなった理由を思い出していた。

 

その日、わたしはあるひとと会っていた。

わたしはそのひとを好きだったが、更にもっと好きになるためにその日は会った。

"寄り添い期"全盛期のわたしは、相手を正面に構え、心持ち瞳孔を開き気味に何度も何度も輪郭をなぞった。

一度目は嬉しく、二度目は楽しく、三度目は幸せに。

何度も何度もなぞるうちに、まるで川を流離う小石のように、輪郭からは角がとれ、相手はどんどんまあるくなっていった。

どんどんまるくなっていく相手を眺め、ふと自分の心を振り返ってみると

「全部おんなじじゃん」

という声が聞こえた。

 

好きだった相手のことを、とてもつまらないと感じていた。

 

ここにいる相手がそのひとである意味を感じなくなっていたし、

その前にいる人間がわたしである必要も判らなくなっていた。

 

自分にとって好意に溢れ特徴的だった相手の輪郭に

視線というヤスリをかけ、他の全てと同じにしていく。

 

その日の夜、「今日は楽しかった?」とわたしに尋ねた友人に対し、

「あのひともこのひとも全部同じに見えてしまった」とわたしは答えた。

 

 

 

 

それ以降、誰かとふたりで会うときはなるべく眼鏡もコンタクトレンズもつけないようにしている。

わたしがあまりに相手を見過ぎないように。

視力0.1前後のわたしの瞳は、裸眼だと数m先にいる人は街に染められた模様に見える。

それくらい曖昧に相手を見ることで、それぞれがようやく別の個体だと認識できる気がする。

 

 

 

 

 

ところで、寄り添う、ってなんだっけ。