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世界はわたしを洗脳などしてくれない

 

 

3年前、月に3日しか休みが無くっても、それでも労働時間が足りなくて、

休日にも勤務先に赴いたものだった。

3年後の今、働くのなんか週3日で良いんじゃないかと思っている。

「それは甘えだ」と言う批判は今はすこし置いといて、

個人の"やる気"はそのひとの内から産み上げられるばかりに依存せず、

そのひとの周囲の環境次第で吸い出される要因も多大にあるはずだ。

 

やる気が見えないひとは、本当はやる気がないんじゃなく

身体の奥底、何処かに隠れてしまったやる気を、上手く発散させてあげる場所を与えられない、

それを吸い出せてあげられない、周囲の責任なんじゃないの?

 

 

 

3年前当時、働いても働いても足りなかったわたしの状態を

今振り返って「洗脳状態」と笑ったりする。

生活の全てを職場に捧げ、それ以外はまるで抜け殻のような日常だった。

宗教に嵌ったことはないけれど、

新興宗教に嵌るって、きっとああいう状態を言うんだろうなあ。

それは偏に当時のマネージャーの功績である。

彼は本当に他者を啓発するのが上手かった。

優しさをベースに時折厳しさを見せ、厳しさの中に

「俺がこんなにも厳しくするのはお前だからだ」を潜ませる。

部下の変化には誰よりも敏感で、

少しでもネガティブな気を感じたら、1日の終りに必ずそれを掬い上げた。

(こうやって書きだしてみると、ますます宗教の信者獲得の手口と似ているな…)

わたしが洗脳から解けたのも、彼が直属の上司ではなくなったから。

後任の上司には、そこまでの能力が無かったから。

 

 

 

 

「洗脳」と言い切ってしまえば、まるでそれは悪いものかのように誤解されるけど、

それはひとを夢中にさせる、意図的な魅力の作り方とも言い換えられる。

当時を振り返ってみて、あの洗脳状態に還りたいと、

ほんの少し思ったりもするのだ。

たったひとつに夢中になれる、それのためなら何だって出来る、

それ以外のものは何にもいらない。

そんな状態のわたしに。

 

今転がっている世の中は

恋も、仕事も、夢も、

社会に落ちている何もかも全て、だれも、

わたしを「洗脳」なんてしてくれない。

 

 

 

 

 

心のふかーいところに隠れている

きらきらしたり、ふわふわしたり、

ちょっとあったかいなにかを

持て余すばかりで、

誰もぶち撒ける、吐き出せる場所を用意などしてくれないのだ。