Twitterがすきでした
Twitterは川のようだ、といつも思っていました
【拡散希望】と撒き餌をし、引っかかってくれる魚は食べられそうならなんでもよかった
相手の顔が見えなければ見えないほど、それはよかった
顔の見える相手とひとりひとりでやり取りをして、
溜まっていく送受信メールに飽き飽きしていたのかもしれません
大きなイベントをするときもそうだけど、
なにげない映画を観に行くその日だって
相手は別に、「あなた」でなくてよかった
その映画を好むか好まないかどきどきしながら声をかける「あなた」よりも
映画のタイトルを出しただけで「おっ、いいね」と言ってくれる誰かと連れ添う方が
ずっとずっと楽だった
【拡散希望】と撒き餌をしては
気に入った言葉や思想の星を拾う
Twitterは贅沢な川でした
顔の見えないたくさん「誰か」と遊ぶうちに
たくさんの「誰か」は「あなた」になっていった
撒き餌をとにかくたくさん食べてくれる「誰か」ではなく
ひとりとひとりの「あなた」でなくては
Twitterをはじめてから見なくなった携帯メールで、久しぶりに声をかけてみた
当たり前だけれど、「誰でもいい誰か」ではなく「あなた」から
確実に返事が返ってきた
Twitterがすきでした