【個人メモ】 SNS使い分けのすりばち図
TwitterやFacebookを代表とするSNSを上手く、戦略的に(マーケティングとして)使うことができない。
日々の生活から溢れることば(感情)の捌け口、捨場、墓場のような存在。(あとはたまに告知)
それら吐き出されるモノたちの量と、自身の本質への近さから来る使い分けを
すりばち状の図で表すことができるなあと思った。
以下
流動的且つ字数の少ないTwitterは一番外側、
「おなかすいた」「ねむい」等の瞬発的本能的感情も入る。
FacebookとGoogle+は単純にフォロワー(見ているひと)の数で分けられているような気がする。
(そのようにフォロワーも分けている)
共有したい情報や告知は主にFacebook。
Google+は、より己の本質に近付いた言葉(誤解を恐れずに愚痴と言い換えてもいいのかもしれない)が多くなる。
本質に近付く必然、比例して自分にとっての秘密度も高まってくる。
さて、この「みみっこだより」また「ガラテアソーマ」というふたつのブログは
それらの最終地点に位置するわけだが、
こうして大多数に公開できる形式を持っている。
(それだけの大人数が見るかどうかは別として…というかそれを言ったらこれまでの話も崩れてくるわけだが)
他人に言い辛い自分の情報(=秘密度)が、
Google+の地点で打ち止めされているのはどういうことだろう、とふと思った。
情報開示のためのステップはこの図の通りで間違いないのだが、
何故だか一定ラインを超えると公開設定が完全にオープンになってしまう。
これはどういうことなんだろうメモ。
仮説としては、自身の本質を如何に捉えて、言い辛いか否か問題よりも、
其処から生まれた言葉やその流れ方の美しさ、つまりその外見に惚れ込んでしまったので
表現として公開せざるを得なくなった…とか。