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人間の業の肯定

 

立川談志の落語自体はまだそんなにすきではないけれど

("まだ"というところがきっと非常にポイント)

彼のこの言葉をとても気に入っている。

 

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 人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。

 酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもついつい飲んじゃう。

 夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、

 そうはいかない、八月末になって家族中が慌てだす。

 それを認めてやるのが落語だ。

 客席 にいる周りの大人をよく見てみろ。

 昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。

 でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。

 努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。

 

 『落語とは人間の業の肯定である』

 

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わたしに立川談志を薦めてくれた友人が、

落語の登場人物はとてもだらしのない、どうしようもない大人ばかりなんだよ。

そういうどうしようもないひとたちを「それでもいいか」と登場させ語り部にしている、

それが落語であって、談志の言う『業の肯定』なんだよ。

と教えてくれた。

 

 

どうしようもない、ろくでなしのための芸。

 

 

 

 

そんな言葉を、先日遊びに行ったジャズライブで思い出していた。

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ジャズという音楽は元々奴隷として虐げられていた黒人から成立したものだと、それとなく認識していたせいかもしれない。

歴史に立つ彼らを"ろくでなし"と呼ぶのは些か失礼に値するかもしれないけれど、

(この場合ろくでなしなのは、虐げていた白人側なのかもしれないけれど、詳細は知らないので語らないことにする。)

どの立場であれ、必ず人間が持ち得る"業"を肯定している面を、ジャズにも同じく感じていた。

 

一応の譜面、脚本は存在しても、演者によってまったく色を変える、

即興性の部分にも似通ったものがあるようだ。

 

 

 

と言っても、ジャズという音楽の形式自体は今までも何度か好きになろうとCDを集めて聴いたりしていたのだけれど、

どうにもすきになれなかった。

クラシックの方がよっぽどすきだし、一言で云うと「つまらない」

 

そんなわたしの印象を覆してくれたのが、

ジャズライブの案内をしてくれた金沢法皇くんという鍵盤弾きの男の子。

元々はわたしも写真家として参加させてもらったイベントで彼が所属するカミオカンデというジャズバンドのライブを聴いたのがきっかけ。

(ジャンルとしてはフュージョンになるそうなのだが、この辺わたしはよくわからない…)

とにかく、このバンドの音に度肝を抜かれて、

殊更、その時も鍵盤を叩いていた金沢くんの"弾く"ではない、まんま"叩く"と形容出来る音に惹かれ

(正確なところ技術的なことはよくわからないのだけれど、とにかく聴いたことの無い音だった。

 それまで鍵盤といえばクラシックにしか馴染みが無かったせいかもしれないけれど。)

 

また、何より彼の"鍵盤に触れているのが楽しくてしょうがない"という様子、表情にとても取り込まれた。

音を楽しむ、という音楽の本質を、またジャズというものの本当の楽しみ方を其処にみた気がして。

 

 

 

 

先日のジャズライブである曲を演奏し終わった後、彼が発した言葉がとても印象的だった。

 

「この曲は、バンドメンバーがそれぞれ凄く寄り添えるのでとても好きです。」

 

寄り添う、という言葉、わたし自身は非常に馴染み深い言葉なのだけれど、

音楽、バンドでそういう表現をすることにとても驚いた。

聞いてしまった今だからこそ、その表現はあって然るべきだと強く思えるけれど、

今までみて聴いた音楽・バンド群にそういうものを感じたことはなかったから。

 

でも確かに、彼らには"寄り添い"を感じた。

小さなライブスペースで、たまに目をくばせて笑いかけながら、

それぞれの心配をしているようにも少し見えたり、でも同時に大きく期待しているようにも見えたし、

けれど何より音楽を楽しみながら寄り添う、

そんな瞬間を見れたから、きっとこんなにも好きになれたんだろう。

 

 

 

 

金沢くん自身、またバンドメンバーを"ろくでなし"と呼ぶわけではないけれど、

その"寄り添い"にこそ、人間の業の肯定を感じた。